「子どもへのまなざし運動」キックオフイベント

「子どもへのまなざし運動」キックオフイベント















昨日は、「子どものまなざし運動」キックオフイベントに参加した。そこで、佐賀青年会議所が昨年より推奨している「こどものさが検定」について、お知らせをする時間を頂いた。
 佐賀市は「佐賀市未来を託す子どもを育むための大人の役割に関する条例」を今月1日から施行した。その第4章に市民総参加子ども育成運動が記載されている。
それが「子どもへのまなざし運動」であり、そのオープニングイベントが、このキックオフイベントである。
 佐賀市では、すべての大人が、子どもの育成に関心を持ち、かつ、主体的にかかわる社会「子どもへのまなざし“100%”のまち」の実現を目指し、市民総参加で子どもを育む市民運動として「子どもへのまなざし運動」を推進することを目的としている。
 すばらしい取り組みであるが、逆に残念にも思う。少子高齢化が進み、昔に比べれば子どもより、大人の数が増えているのである。今後何年もその傾向が続くのは分かりきっているのにもかかわらず、逆にこのような条例や運動を行わなければ、大人と子どもの関わりが希薄化しているというのは残念である。先の大戦の後、GHQが日本人の精神性を培っている源は何かと調べたところ、日本の神道と教育勅語、3世代同居にあると思った。国家神道は天皇陛下に人間宣言を強い、教育勅語は排除、3世代同居は、親元から独立し、物質的に豊かな生活を送るアメリカのホームドラマを意図的に見せることにより、じわじわと洗脳していった。人々はマイホームを持つのが夢になり、たくさんの電化製品に囲まれ生活をするために働いた。その結果が、このような運動をわざわざ市が行わなければならない現状に結びついたのである。歴史観、道徳観、倫理観を一つの民族が共有するには3世代のコンセンサスが必要である。今のこの国の経済状態を見ていると、良くも悪くも、また親との同居が当たり前になる時代が来るのではないだろうか、高視聴率を稼ぐ、ちびまるこちゃんや、サザエさんは、3世代同居である。日本人には3世代同居を違和感なく受け止める精神性が、DNAに刻まれているように思う。

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イベントには、「こどものさが検定」担当、田中委員長をはじめ、青少年育成委員会のみなさんや、メンバーも多数出席していた。広報木下委員長もお子さん連れで、いつものカメラを片手に参加していた。私たちの発表の様子は広報委員会ブログを参照していただきたい。http://naoya.sagafan.jp/

 私は先日唐津の西島理事長のお嬢ちゃんに、おじちゃんと言われた。素でおじちゃんと言われたのは初めてだったので、ショックであった。何故お兄ちゃんじゃなくておじちゃんなのと聞いてみたら、白髪があるからだという答えが返ってきた。たしかにここ1、2年で白髪が増えたような気がする。私もそろそろピーターパンを卒業しておじちゃんとしての自覚を持たなければならない。
 子どもの頃近所の公園で、よく野球をして遊んでいた。あの家にボールを打ち込むと、怖いおじちゃんが出てきて追いかけられるから、絶対に打ち込まないようにと暗黙のルールが存在した。しかし運悪くその家によくボールが飛び込んだ。みんなで誰が取りに行くか話し合い、その役になると、門からこっそり忍び込み、ボールを捜して、一目散に逃げ出した。しかし正直に家の人に謝ってボールを捜させてもらうと、実はその家のおじさんはとても親切で良い人であった、というような都市伝説的なエピソードは、私たちの世代には多かれ少なかれ存在したと思う。夕方になるとランニング姿でうちわを扇ぎながら、声をかけてくるおじさん、時には一球打たせてくれと話しかけてくるおじさんさえいた。子どもの頃、特に放課後遊んでいるときに関わるおじさん達は、たいてい誰かのお父さんではなく、誰も知らないおっちゃんであった。今時ランニング姿でうろうろしている大人はあまり見かけないが、今思えば何かほのぼのとした光景である。あんな時代の大人と子どもの関わりを安心して行える世の中にしなければいけないと、私(おじちゃん)は思う。

 私達佐賀青年会議が提案させていただいた「こどものさが検定」は、決して子どもたちに点数を競わせる類のものではなく、わからない事、知らないことは、親に、また、おじいちゃんおばあちゃんに聞いて問題の答えを見つけ出す。3世代の会話を促進させる、ツールとして使っていただきたい。子どもたちが佐賀を知ることにより、故郷である佐賀に、誇りを持ち、親に、おじいちゃんおばあちゃんに、この国の礎を築いた先人に感謝の気持ちを持ってもらえるように促したい。国や郷土、先人や親に誇りを持つということは、自分に誇りを持つ事と同じことである。



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Posted by くうちゃん at 17:32│Comments(2)佐賀青年会議所
この記事へのコメント
「3世代同居は、親元から独立し、物質的に豊かな生活を送るアメリカのホームドラマを意図的に見せることにより、じわじわと洗脳していった。人々はマイホームを持つのが夢になり、たくさんの電化製品に囲まれ生活をするために働いた。」
日本の農村部にあっては、生来、長男を除き、次男三男は、家を出て独立して家を構えることになっており、その多くが、江戸や大坂やあるいは、その地域の城下町などに移り住んでいた。
つまり、彼らは、物理的に三世代同居が出来る家を造ることは困難であり、必然的に親子の二世代にならざるをえなかった。
また、「金の卵」ともてはやされた戦後集団の時代、彼らは、団地住まいを余儀なくされ、結果二世代ですむしかなかった。
アメリカのホームドラマは関係ないのでは?

「歴史観、道徳観、倫理観を一つの民族が共有するには3世代のコンセンサスが必要である。」
おそらく、そうでしょうが、そもそも日本の住環境において、武家(大地主)の時代、鎌倉時代から今日まで三世代同居がどれくらいの比率でいたのでしょうか?
自分自身の周りを見渡しても、建設業の友人か昔ながらの大農家の友人ぐらいしか思い浮かばない。
そもそも日本人のどれだけが三世代同居を経験しているのだろうか?
Posted by 松田 at 2008年05月01日 10:22
松田様、熟読していただき、またコメントありがとうございます。本文中で一番私が言いたいのは、3世代の対話が希薄になっている昨今、それを取り戻す必要があるのではないかと言う事です。
おっしゃる通り、次男三男は家を出て独立するのですが、幼少の頃は長男と一緒におじいちゃんおばあちゃんと住んでいたと思います。また独立しても、また彼らはおじいちゃんおばあちゃんとして、長男と孫と住むわけですから、それが途切れることはあまりなかったと思います。
GHQがアメリカのホームドラマを使い、アメリカは素晴らしい国であると宣伝し、それに憧れるように仕向け、日本の精神文化を解体し、文化的にもアメリカを真似るように洗脳したのは事実です。
Posted by くうちゃんくうちゃん at 2008年05月01日 11:31
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