2月例会総括
2008年03月14日
今回はお約束通り、2月15日に開催された、「佐賀青年会議所の進む道」と題したパネルディスカッションの総括をしたいと思います。感想は翌日にも投稿しているが、抽象的ではなく、ここでは具体的に内容について述べたいと思います。
コーディネーターは私であったが、緊張など一切しなかった。それは先輩達を敬っていないからとかではなく、まさに、中尾先輩も途中、この会に入ってメリットと感じなければならないのは、「この先輩達と話が出来る」と考えることだとおっしゃられたが、その心境であった。そしてその先輩達をコーディネートするなど、恐らく最初で最後であろうし、一番私が幸せで楽しかったのかもしれない。
それは写真のほとんどで私が笑っている事からも、そのときの私の心境をお分かりいただけるだろう。
さて、肝心の内容についてだが、設問は全部で4つあり、自らのJCの経験であるとか、問題点、これからのJC、そして現役メンバーへのエールと進行するはずであったが、どうも、先輩方は熱が入ってくると、すべて最後に用意している設問のエールになってしまうのが面白かった。やはり先輩方皆さんJCが好きで、卒業してからも心配で、何とかしてあげたい気持ちがものすごくあり、そうなってしまうのだなと隣に座っていて感じた。
全設問を総合して、各先輩方が何を私達に伝えたかったのかを私なりに、思い出し整理してみた。まずは小原先輩である、小原先輩は1995年に(社)日本青年会議所の会頭をされており、まさに景気は上向きで、全国の青年会議所活動も盛んな時期に会頭をされた事もあり、今後の青年会議所活動に対して大変心配されていた。戦後日本の復興をひっぱってきた団体に、青年団というものがあり、その青年団をひっぱてきた若者の中から竹下登をはじめ数々の首相を輩出してきた。しかし時代の流れにそぐわなくなり、青年会議所にその座を奪われてしまった、青年会議所もそのようにならないためには、青年団の衰退を検証する必要がある。また、青年会議所は当時、ボランティア活動のデパートだと言われていたが、今現在のデパートは衰退し、大型専門店にとってかわられているように、何か一芸を見出さなければならないとおっしゃられていた。
次は原口先輩であるが、テレビで拝見するのと同じテンションで、熱く語っていただいた。今からは地方分権の時代に移行していき、地域に近い青年会議所が活きる時代が必ず来る、その時代に備えるべく青年会議所は人づくりを一生懸命やらなければならない。人は志を高く持った人についていくので、どれだけ志を高く持つかが大事である。青年会議所は立場が人を作り、委員長を一年やっただけで劇的に良い方へ変貌する事がある、だから人づくりに特化した団体に自然と流れていくのではないかとおっしゃられていた。
最後に中尾先輩である、覚えているキーワードがありすぎて困る。青年会議所は時代をリードしてきたが、時代に追い抜かれてしまった。しかしそれを悲観することはなく、青年会議所がきっかけで周囲が覚醒したからであり、それは誇るべき青年会議所の成果である。そこで今後は、とても特定分野の専門家達には単年度制の付け焼刃では勝てないので、1+1が3以上になるように発想が玉突きのように連想される、連想的なスペシャリストと、総合力を持ったビジネスパーソンの集合体になるべきであり、そういった団体を目指すコンセンサスをみんなで持つ事が今後の青年会議所のあるべき姿であるとおっしゃられていた。
お話を聞いているのは楽しかったが、思い出して文章にするのは大変である、しかし例会に残念ながらこれなかったメンバーの目に留まれば幸いだと思う。また、例会に出席したメンバーも先輩の皆さまがおっしゃってた事を再度思い出していただきたい。
また、印象に残った発言があったら、コメント欄に書き込んでいただきたい。
結論、「佐賀青年会議所の進む道」とは、想像力豊かな作曲家を育ててそれを指揮することである。
コーディネーターは私であったが、緊張など一切しなかった。それは先輩達を敬っていないからとかではなく、まさに、中尾先輩も途中、この会に入ってメリットと感じなければならないのは、「この先輩達と話が出来る」と考えることだとおっしゃられたが、その心境であった。そしてその先輩達をコーディネートするなど、恐らく最初で最後であろうし、一番私が幸せで楽しかったのかもしれない。
それは写真のほとんどで私が笑っている事からも、そのときの私の心境をお分かりいただけるだろう。
さて、肝心の内容についてだが、設問は全部で4つあり、自らのJCの経験であるとか、問題点、これからのJC、そして現役メンバーへのエールと進行するはずであったが、どうも、先輩方は熱が入ってくると、すべて最後に用意している設問のエールになってしまうのが面白かった。やはり先輩方皆さんJCが好きで、卒業してからも心配で、何とかしてあげたい気持ちがものすごくあり、そうなってしまうのだなと隣に座っていて感じた。
全設問を総合して、各先輩方が何を私達に伝えたかったのかを私なりに、思い出し整理してみた。まずは小原先輩である、小原先輩は1995年に(社)日本青年会議所の会頭をされており、まさに景気は上向きで、全国の青年会議所活動も盛んな時期に会頭をされた事もあり、今後の青年会議所活動に対して大変心配されていた。戦後日本の復興をひっぱってきた団体に、青年団というものがあり、その青年団をひっぱてきた若者の中から竹下登をはじめ数々の首相を輩出してきた。しかし時代の流れにそぐわなくなり、青年会議所にその座を奪われてしまった、青年会議所もそのようにならないためには、青年団の衰退を検証する必要がある。また、青年会議所は当時、ボランティア活動のデパートだと言われていたが、今現在のデパートは衰退し、大型専門店にとってかわられているように、何か一芸を見出さなければならないとおっしゃられていた。
次は原口先輩であるが、テレビで拝見するのと同じテンションで、熱く語っていただいた。今からは地方分権の時代に移行していき、地域に近い青年会議所が活きる時代が必ず来る、その時代に備えるべく青年会議所は人づくりを一生懸命やらなければならない。人は志を高く持った人についていくので、どれだけ志を高く持つかが大事である。青年会議所は立場が人を作り、委員長を一年やっただけで劇的に良い方へ変貌する事がある、だから人づくりに特化した団体に自然と流れていくのではないかとおっしゃられていた。
最後に中尾先輩である、覚えているキーワードがありすぎて困る。青年会議所は時代をリードしてきたが、時代に追い抜かれてしまった。しかしそれを悲観することはなく、青年会議所がきっかけで周囲が覚醒したからであり、それは誇るべき青年会議所の成果である。そこで今後は、とても特定分野の専門家達には単年度制の付け焼刃では勝てないので、1+1が3以上になるように発想が玉突きのように連想される、連想的なスペシャリストと、総合力を持ったビジネスパーソンの集合体になるべきであり、そういった団体を目指すコンセンサスをみんなで持つ事が今後の青年会議所のあるべき姿であるとおっしゃられていた。
お話を聞いているのは楽しかったが、思い出して文章にするのは大変である、しかし例会に残念ながらこれなかったメンバーの目に留まれば幸いだと思う。また、例会に出席したメンバーも先輩の皆さまがおっしゃってた事を再度思い出していただきたい。
また、印象に残った発言があったら、コメント欄に書き込んでいただきたい。
結論、「佐賀青年会議所の進む道」とは、想像力豊かな作曲家を育ててそれを指揮することである。
Posted by くうちゃん at 08:07│Comments(0)
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