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Posted by さがファンブログ事務局 at

理事長活動報告

 一年間、ありがとうございました。当記事を投稿し、2008年度理事長ブログを終了させていただきたいと思います。
広報委員会には、このブログというものを突如二月理事会で強いられ、いやいや始めましたが、一生の思い出に残るこのような情報発信、保存ツールを教えていただき、最後は感謝の気持ちばかりです。

 最後に会員の皆様へは私の理事長活動報告と、このブログを置き土産にして理事長としての役目を終えたいと思います。

2008年度 理事長報告

2008年度 理事長 橋詰 空

「ノブレス・オブリージュ -社会的に恵まれた者の義務―」
“JCの誇りを持ってJAYCEEの責任を全うしよう”

 私が理事長に内定した2007年度末、日本の輸出主力産業である、自動車、家電製品販売会社のほとんどが、過去最高益を高らかに宣言し、巷ではいざなぎ超えを囁く声が溢れ、それらをこぞってマスコミ各社が書き立てていた。しかしそれからたった一年で、米国発のサブプライムローンの焦げ付き問題をきっかけに世界を巻き込んだ金融危機に発展し、日本ではついにバブル崩壊後株価の最安値を更新し、あれほど儲かっていた輸出関連会社が一気に赤字転落に陥るという激動の一年間であった。
 しかしながら一地方都市である佐賀においては、前年のいざなぎ超えの恩恵も街ではさほど感じられず、また、金融危機における不況の波も、マスコミが煽る消費者マインドの冷え込みによる消費の鈍化ほどの影響しかまだ、私の経営者としての肌感覚としては伝わってこず、地方都市ならではの優位さを感じた。
 今年度、冒頭に掲げたように、地域で経済活動を行いながら社会活動をする事も出来るという、社会的に恵まれた私達は、義務として、地域に恩返しをしなければならないという意識を会員の皆さんと分かち合うために、「ノブレス・オブリージュ」という言葉をスローガンに使わせていただいた。地域が元気ではないのに、自分だけが豊かになるという事は、ほぼ不可能であり、地域と自身の経済活動が共生関係にあるのだという事をお伝えした。スローガンをはじめとするそれらの事は、会員の皆さんには一生懸命伝えたつもりである。
 さて、マニフェストとして掲げたいくつもの事業であったが、概ねやり遂げることが出来たと思う。数々の講師例会、公益性を重視し、市民にも開放した公開例会、各種大会への参加者の飛躍的な増加、新營JCとの交流事業や「佐賀城下栄の国まつり」の運営を通じて、会員の皆様には大変勉強になる有意義な事業を共有することが出来たのではないだろうか。また、研修、青少年育成、環境美化と、どれも無駄なく成果を出せたと思う。自画自賛ばかりしていても仕様がないのだが、すべて公約通りに完遂できた訳ではない。
各種会議時間の短縮や、会員の拡大においては全く目標をクリアする事が出来なかった事は、お詫びするしかない。貴重な時間を割いて、会議に出席してくれる理事の為にもなんとか負担を軽減したかったのだが、10委員会1特別室という大所帯による、議案の多さもあるが、一番の原因は、提出される議案の事前の精査が甘く、そこを周知徹底出来なかった事にある。そして会員の拡大を50名と設定していたが、今年度の入会者数は大幅に目標を下回ってしまった事は重ねてお詫びしなければならない。当初、拡大の担当委員会を常設せず、会員全員が拡大担当という意識を持って臨んでもらいたいと、自らの名刺にも拡大担当の文字を入れたのだが、担当の委員会を置かなかったことが一番の失敗であったと思う。青年会議所という組織は職務分掌をはっきりさせておかないと、責任の所在が曖昧になり、思ったほどの成果があがらないという事が私自身も勉強になった。
これらの問題は、次年度以降に引き継ぐわけだが、特に会員の拡大は、私達の活動を一人でも多くの市民の皆様に伝える事に繋がるので、以上の事を踏まえて頑張っていただきたい。
 もう一つ今年度の特筆すべき事業は、毎月発行の対内広報誌と ブログという情報発信を取り入れた事だ。特にブログというものは、旬の情報を発信し続けることに意義がある。一方、基本的に対外への情報発信は、当会の慣例において、理事会または監事の承認を経て発信しなければならないのだが、それらを毎回行うことは不可能であり、時代が求めるスピードとロバート議事法をはじめとする青年会議所の決定プロセスのフットワークの悪さを再認識させられた。
 同様に、携帯電話、PCによるペーパーレス会議、メール、それに今回のブログと、どんどん時代は便利になる反面、社会生活において、覚える事がどんどん多くなり、スピードアップが図られ、休む暇も少なくなり、現代人の生活もJC活動も大変になったと感じた。   社会の変化に迎合する必要は無いという考え方は十分に理解できるものの、本来、社会を牽引してきた青年会議所が50年以上変わらずにいたことで、社会の発展のスピードに追いつかなくなってきているのではないかと考えさせられた。
 さて、理事長の仕事として重要な事の一つに充て職というものがある。(別表1)これらの模様や理事長の職務を会員の皆様に伝えるのに前述のブログを大いに利用させていただいたので、理事長としての活動を垣間見られたのではないかと思う。(別表2)充て職においては、出来る限りの会議に自身で参加した。(社)佐賀青年会議所、企業人、子育て世代、様々な視点からの代表者として、各会議でのニーズが異なり、参加する会議に対する事前の準備が必要である。
これらの会議において、自身が学んだ事や出会いは大変貴重なものであり、これは正に理事長の特権とも言える仕事である。青年会議所に入会した事による恩恵をすべて享受したいのであれば、ぜひ、この充て職というものに理事長として参加していただきたい。
 最後に、理事長挨拶で3回もお話をさせていただいた、尊敬する
後藤新平氏の言葉を再度皆様にお伝えしたいと思います。
「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするように、そして報いを求めぬよう」     
「金を残して死ぬ者は下だ、仕事を残して死ぬ者は中だ、人を残して死ぬ者は上だ。」   
 これらの我が身を治める自治の精神は、必ず明るい豊かな社会を創造し、世界平和の基礎になるものだと信じます。

 全会員、理事の皆様、数々の講師や外部協力者の皆様のおかげでこれらの事業が出来たことに感謝をする気持ちは言うまでもありません。名前の通り空け者の理事長でありましたが、2008年度の委員長から何人理事長が誕生するかが楽しみで、数年先の知己を待ちわびております。
 以上をもちまして、2008年度理事長活動報告とさせていただきます。

別表1・・・理事長充て職一覧
別表2・・・理事長活動報告
理事長ブログ・・・http://hashizume.sagafan.jp/

  


Posted by くうちゃん at 22:19Comments(0)佐賀青年会議所

仮題3

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Posted by くうちゃん at 22:19Comments(0)

仮題2

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Posted by くうちゃん at 22:18Comments(0)

仮題

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Posted by くうちゃん at 22:18Comments(0)

この指とまれinSAGA

12日に開催された12月例会から連日お酒を飲む機会に恵まれている、それはうれしい事ではあるが、最近記憶をよく失くすようになった。以前はどれだけ酔いつぶれても記憶だけは失くさないというのが自慢であったが、こう頻繁に記憶を失くすようになると、そろそろお酒の飲み方も考えなければならない。「アルジャーノンに花束を」連想させる脳の劣化であるが、歳には逆らえないと諦めるしかない。昨夜は次年度の室会議が開催され、当然のごとく途中からの記憶がない。30歳で青年会議所に入会した当初、青年と言ってもおじさんばかりだなと思ったが、私もそう思われるような歳と見た目になったのだろう。1次会ではサッカー部キャプテンに10キロの減量を言い渡された。脳は劣化するわ体力は衰え体型も醜くなるわで、歳を重ねる事に何か希望を見出さないとやってられない気分である。

少しというか、かなり前置きが長くなったが、12月14日、古湯のフォレスタ富士で開催された、インタビュー・ダイアローグ「教育はどこへ行くのか」~新しい時代を切り拓くのは誰か~に、パネリストとして参加した。
この討論会は、生涯学習フォーラム「この指とまれ」inSAGAの一つのコーナーとして開催され、全体のスケジュールとしては、13日(土)の午前10時~14日(日)の12時までと、二日間に渡って、みっちりと行われた。















パネリストは私を含め計4名、多久の横尾市長、勧興公民館の秋山館長、ふくおかNPOセンターの古賀代表、インタビュアーは生涯学習・社会システム研究者の三浦清一郎氏であった。
今回のパネリストには、事前に本番用のシナリオが送られ、予定では90分の間に発言の機会が4回ほど用意されており、持論をゆっくり展開出来るはずであったが、直前の打ち合わせ時に、三浦氏より、質問をぶつけるので、なるべく短く返答してくださいと依頼を受け、急なシナリオの変更ではあったが、余計に集中力と期待感が膨らんだ。
さて、本番であるが、インタビュアー三浦氏の、朝まで生テレビを彷彿させる、田原総一郎ばりの問いかけに、一瞬たじろいだが、私も途中挙手をして発言をするなど大変盛り上がった。
三浦氏は、今の教育は何が問題であるのか、それに対して何をしたのか、これからどうしたら良いのかなどを質問してこられた。
私は世代間交流の断絶が問題であり、それになんとか歯止めをかけるために、こどもの佐賀検定や、ふれあいの場提言を佐賀青年会議所は行っていると答えさせていただいた。三浦氏は各事業に対してこども達がどう変わったのかと成果を急がれたが、そんなすぐに劇的に成果は出ないと私は思う。大体今の教育の問題点として世間で言われていることは、家庭での親との関係が希薄になり、学校では先生の質の低下が叫ばれ、地域ではこどもと大人の関わりが少なくなったと言ったところであるが、もう私はこれは仕様がないと思います。これらの問題の一番の原因はこの国が豊かになった事から起因する副産物的な要素で、昔ならこどもの娯楽と言えば、外で友達と遊ぶ、家では親と一台のテレビを見る、本を読む、もしくは親と話すくらいしか時間を使う選択枝がなかったのであるが、今はテレビも複数、携帯、ゲーム、インターネットと家庭での時間の使い方も多様になり、大学進学率が50パーセントを超える今の時代であれば、保護者の皆さんも半分以上は大学に進学しており、昔ほど先生様は偉いんだから言うことをよく聞きなさいと指導する親も少なくなったのだと思う。決して先生の質が昔に比べて劇的に劣化したのではないと思う。地域の大人との関わりなども、近所の大人同士が助け合う必要がないくらい豊かになり、こどもも外で遊ばないのだから、関わる事すら出来ない状態なのである。
しかしこの状況をなんとかしなくてはという流れで会は進行したのだが、横尾市長は、古典を子供達に教えるべきであるとおっしゃられ、論語を例に出して、こんな良い書物などがあるのだから、どんどん古き良きものを使って、こども達に夢と志を与えるべきであると、大変共感できる事をおっしゃられた。私は今の豊かさを支えているのは日本人の勤勉さであり、今の教育における問題については楽観的に考えている。横尾市長の意見には全く同感であるし、私もこども達に国や地域を愛し、先人に感謝をする心を植えつけないといけないと思うが、恐らくそのうちそのようになると思う。日本人は今のこの豊かさを捨てる事は出来ないと思うし、捨てれないのなら、資源もないこの国は、教育に力をいれるしかないのである。
少子高齢化時代を向かえ、たくさんの大人が少ないこどもをよってたかって教育できる今からの時代、そう悲観する事でもないという私の発言に、ろくでもない大人がよってたかってこどもをだめにしたらどうするんですかと三浦氏に返されたのにはもう苦笑いであった。もうここまで言われたら何をしても無駄なのではないかと思うが、私は日本人のDNAを信じている。

















会場は70人ほどの席が満席であり、古湯という地の利の悪さであったが、青年会議所もこの動員力は見習わなければならないと思った。次年度理事長の古賀君も、理事長職の勉強もかねて、見に来てくれました。ありがとうございます。
今回のパネリストは、佐賀市教育委員会生涯学習課の課長さんからの推薦で決定したらしいのだが、このような機会を与えていただいた事に感謝いたします。
  


Posted by くうちゃん at 13:46Comments(4)公職

12月例会・クリスマス会
















昨夜は今年度最後となる12月例会、クリスマス会が開催された。前回のブログ更新時から昨夜までそれこそ連日飲んでいた為か、クリスマス会の途中から断片的な記憶しか残っておらず、恐らく帰宅は3時頃であったであろうが、6時には目が覚めてしまった。今日はゆっくり昼まで寝ていようと思っていたのに思惑がはずれてしまった。昔は一日中でも寝ていられたのに不思議なものだ、気づいたら歳も40になり、それも仕様がないのかもしれない。さっき次年度理事長古賀君から電話があった。会場であるマリトピアの車の中で、眠ってしまっていたらしい、会が終わって一緒に街にくりだそうと思っていたのに連絡が途切れてしまったのはその為かと思い、笑ってしまった。折角の衣装だったのに残念でした、また何かの機会で一緒にタキシード着ましょう。

さて、12月の最後の例会では例年、プレジデンシャルリースとバッチの交換が、私と次年度、直前の間で取り交わされます。








このプレジデンシャルリースを外すと肩の荷がおりて、楽になる気分を味わえるかもしれないと思っていたが、特に心境の変化はなかった、それははなから荷を背負っていなかったか、はたまた途中のどこかの時点で勝手に下ろしてしまっていたのかもしれません。
今年度最後の例会であったので、気分を盛り上げたかったが、何かいまいち盛り上げ切れなかった。それはここのところの暖冬で、12月という気分に浸れなかったのと、また来年直前理事長として、各例会で、12回も挨拶をする機会があると言う事で、これで最後であるという感涙に咽ぶ事もなかった。私がメンバーの皆さんに伝えたい事は各例会の挨拶で、すでに述べさせていただいたし、本年度前半に開催された、各講師例会において、講師の皆様にも代弁していただいたと思う。それを聞き逃した方は、残念ながら聞いていない方が悪いのである。今回の挨拶ではマニフェストの総括と理事長になって得たもの失ったものをお話しようと思っていましたが、一番難しかったのは、失ったものをお話する事でした、自身の楽天的な性格と、損得勘定があいまって、どう考えても何かを失うとか損をしたという事が思い浮かびませんでした。昨年、次年度理事長として決定してから今日までの一年半を振り返って見ると、うまい例えが見つからないのですが、私にとっては、半年間準備期間があり、一年間という長い時間魔法がとけないシンデレラのようなものであったかなと思います。しかもその魔法は今年一年で必ずしもとけるわけではなく、自分の努力次第では、任期が終了しても、この一年で得た人脈や、知識を屈指して、さらなる高みを望む事も可能だと思います。そう考えるとやはり、今からの人生の方が希望に満ちており、感極まるといった気分になれなかったのだと思います。

















直前理事長の挨拶は流石であり、古賀次年度の挨拶は初々しく、一生懸命暗記した努力の跡が伺えた。

せっかくのクリスマス会にはおしゃれをして望みましょうと、正副に働きかけたのですが、それに応えた井田専務は、白の紋付袴姿で登場、完全に他のタキシード軍団は彼に主役の座を奪われてしまった。どこの落語家かと思ったが、本人はデルモン亭トマトを襲名していた。
井田専務、12月31日までまだ気が抜けませんが、一年間ありがとうございました。

















会では今年度の会員の活動に対して各褒章の表彰も行われた、皆勤賞の発表では私が一番最初に名前を呼ばれ、昨年まではまだ他に私より先に名前を呼ばれる先輩がいたのにと思うと、自分も早く卒業しなくてはと思った。ちなみに皆勤7年という事であったが、実は入会二年目時に判子を押し忘れ、一回休んだ事になってしまったのだが、入会以来一度も例会を休んだ事がないのである。かなりの暇人であり、欲張りである。
個人褒章は全10委員会から4名、理事長特別賞として最優秀新人賞に川原田委員長、優秀会員賞に江口常務、最優秀会員賞に木下委員長を選出した。川原田委員長は入会二年目にして異例のスピードで今年度委員長を務めてもらったが、大変頑張ったと思う、ただ年数が古いというだけのメンバーよりはよっぽど積極的である。江口常務の活躍ぶりは当ブログでも周知の事実であるが、本当にどこに行くにもいつも一緒でした。来年は直前理事長セクレタリーに任命します。そして木下委員長ですが、毎月発行の広報誌の出来はプロ並み、今私が書いているこのブログを強いたのも彼、どこに行っても彼の大きなカメラのレンズが、各事業を狙っていました。文句無しで最優秀でした。

















デルモン亭トマト師匠から次年度専務のアフリカJCブレイド君に会館の鍵も引き継がれ、無事会は終了いたしました。
















おまけ・・・城野副理事長も緊急登板にもかかわらず、一年間お疲れ様でした。服巻ゴルフ倶楽部では、かきまぜ王子と命名させていただきましたが、おかげさまで十分かきまざり、分離いたしました。来年は上澄みメンバーと一緒に頑張っていきます。

さらに最後にビデオレターと素敵な贈り物をいただきました、唐津青年会議所OBの森先輩と日野さんありがとうございました。キティーちゃんのがんばったねメダルは帰宅時までつけさせていただきました。贈り物は家でわくわくしながら開けさせてもらいましたが、中身は赤星の350盗塁記念ペナントと金本の2000本安打記念ペナントでした。いくら私が阪神ファンだからといっても、どうすんのこれ・・・・・

なにはともわれ、メンバー皆様のおかげをもちまして、本年度の事業すべてを終了する事が出来ました、ありがとうございます。バッチも渡したし、プレジデンシャルリースも渡したし、これが本当のお後がよろしいようで。  


Posted by くうちゃん at 10:37Comments(2)佐賀青年会議所

昨日は休肝日

 昨日は、ひさしぶりにお酒を無理やり飲まなければならない事もなく、予定もなく、ゆっくり過ごしました。エジプトから帰ってからの、この一週間、時差ぼけなのか、お酒の飲みすぎによる肝機能障害のせいなのか、虚脱感と戦っておりましたが、アルコール依存の疑いだけは晴れたのでホッと胸をなでおろしております。しかし手帳を確認しながら思ったのは、前回の休肝日がいつだったのか確認出来ず、肝機能は間違いなく衰えているであろうスケジュールには不安を感じました。
 さて、広報委員会の大変盛り上がった忘年会から一足先に帰宅し、何もせずに寝だめしようかと決め込んでおりましたが、全く寝付けずに、これも依存症かと思うくらいPCでニュース記事を読みあさっておりました。その中で一番考えさせられた記事は、我らが麻生首相の支持率がまたまた低下したとの記事でした。各紙こぞって、鬼の首をとったかのように報道しておりましたが、この世論調査っていったいどうやって行っているのでしょうかね、あれだけあなた達が紙面で叩けばそりゃあ支持率も下がるでしょうと心の中で突っ込みを入れてみましたが、失言あり、漢字の読み間違いあり、二転三転した定額給付金騒動などを加味するとしょうがないのかもしれません。しかし完全にひいき目で言わせてもらうと、そこまでよってたかってこき下ろすほど悪い人では無いと思います。私自身4回お会いした事があり、その内2回は隣に座って食事をご一緒させていただく機会がありましたが、いたって気さくで紳士的な方でした。最初にお昼ごはんをご一緒させていただいた時は、昨年の9月頃、場所は都城の中華料理屋でしたが、召し上がられたメニューはラーメンと炒飯といたって普通のメニューで、昼からフカヒレだなんだと言う訳でもなく、本当にごく普通においしいとおっしゃりながら召し上がっておられました。一時期ホテルのバーや料亭通いを豪遊などと叩かれておりましたが、恐らく値段の高い場所をわざわざ選んで行かれている感覚はないのではないでしょうか。漢字の読み間違いはフォローのしようがありませんが、定額給付金などは、愚策だなんだと言われても、私は日本ならではの批判だなと思います。これが他国であったら国民万々歳で受けとる事になるだろうと思いますが、まあほとんどの国はそんなお金すらないでしょうが、しかしここは日本ですのでせめて定額減税にしておいてくれればこんな批判もなかったのにと残念に思います。本当ひいき目ですけど、当初は発表だけして選挙の予定だったのだろうと思うと可哀想な気がします。内閣支持率は、発足当時に比べて半分以下に減ってしまいましたが、まだ20%以上の人が支持しているとも言い換える事が出来ます。まだまだ根気強く応援してくれている国民のためにも起死回生の一手を打っていただけたらと強く願います。
 私は後数日で理事長という職を終える訳ですが、その職において、ストレスがない訳ではありません。これに支持率なんて加わったらたまったもんではありませんが、一年という限られた期間が決まっているおかげでなんとか無事その役目を終える事が出来そうです。有能であろうが無能であろうが、一年間はその職をまっとうする事が出来るこの職と規模の小ささから、麻生首相のストレスは計り知れませんが、心中お察しいたします。矢面に立ち、変革には邪魔者が現れ、揚げ足をいちいち取られ、それでも国民や組織のためによかれと思う事を頑張りぬくのがトップの役目であると思います。  


Posted by くうちゃん at 08:12Comments(0)独り言

12月理事会〜今年度最後のはず〜

昨日は、12月理事会が開催されました。例年であれば、この日は新旧合同理事会が開催されておりましたが、今年は諸事情により、新旧同時には開催せずに、今年度だけの理事会でした。最終最後の理事会ではありましたが、ほぼ全員出席の中開催された理事会は、もう円熟の極みまで言うと言いすぎですが、理事会慣れした観がありました。これが最初から出来ていればと思いはしますが、最初からそれが出来るのであれば、修練の場所としての、我が青年会議所の存在意義もなくなると思いますので、しょうがない事なのかもしれません。私はただいま広報委員会の忘年会で、別府にいます。帰ってからまた更新いたします。
  


Posted by くうちゃん at 21:32Comments(2)佐賀青年会議所

師走突入。

 あっという間にというべきか、やっとというか一年が終了しようとしています。例年何の変哲もない一年を送っていると月日が経つのを早く感じるのですが、今年に限ってはとても長く感じる一年でした。言い換えればとても充実していた一年であったと言うべきでしょうか。
 さて、知的好奇心を大いに刺激したエジプト旅行から11月28日夜に帰ってきましたが、早速まちづくり委員会の忘年会に途中参加し、一日おいて国際室両委員会の忘年会に出席すべく熊本に行ってまいりました。そして帰佐後、本年最後の常任理事会に参加いたしました。本日もLOM改革特別室と、心の平穏を取り戻せず、目が回っております。
 取り留めのない文章になりましたが、ブログ更新をしないと心配の声があがりますので、とりあえず以上で近況報告とさせていただきます。エジプトについてもっと詳しく教えてという声がかなりありますので、おいおい報告させていただきます。
  


Posted by くうちゃん at 18:02Comments(1)佐賀青年会議所

エジプトと言えばこうでしょう。

今日はギザのピラミッド、スフィンクス、メンンフィスの二つのピラミッド、サッカラ、そしてナイル川ディナークルーズと、盛りだくさんの一日でした。ピラミッドやスフィンクスを見て、やっとエジプトに来た気になりました。それではまた詳細は後回しで写真のみでお許しくださいませ。














































































































っとまあ今日が一番エジプトらしい一日のような気がしました。明日はカイロ市内を観光して、夜の便で帰路につきます。日本食がとても恋しいです。  


Posted by くうちゃん at 07:52Comments(4)独り言

アスワン・アブシンベル・カイロ

昨日はアブシンベルのホテルに宿泊したが、ネットの環境がなく、更新が出来なかったため、昨日と、今日のダイジェスト版をUPします。まず、昨日は、イシス神殿、アスワンハイダムを見学し、空路アブシンベルへ、そしてアブシンベル神殿を見学、一夜明けて、夜明けのアブシンベル神殿を見学し、空路アブシンベル→アスワン→カイロと移動し、カイロ博物館を見学しました。
詳細は帰国後と言うことで、とりあえず写真のみ。オープニングは年に二度あるかどうかくらい貴重な江口君ののりの良い写真から。






















































































































明日はいよいよメインイベントの、ピラミッド見学に行ってまいります。これ見ないとエジプトに来た気がしませんからね。
それではお休みなさい。ちなみにこちらは午前1時、明日は6時起きです。  


Posted by くうちゃん at 08:05Comments(0)独り言

アスワン初日~アラビアのロレンスのつもり~

今日はルクソールからアスワンへ向かいました。途中危険な箇所があるため、観光客を乗せたバスは集合して、警察先導のもとアスワンへ向かいました。観光バスは総勢20台ほどいたでしょうか。途中、ホルス神殿、コムオンボ神殿、石切り場、市場などに行き、帆掛け舟でナイル川をセイリングしました。現在現地時間午後6時、今日のホテルはナイル川の島の上にあるホテルです。それでは写真のみの報告させていただきます。














































































































今からナイル川を見ながら夕食をとり、明日はアスワンハイダムを見学後、空路アブシンベル神殿へ向かいます。
なんか観光も体力勝負になってきました。それではまた明日。  


Posted by くうちゃん at 01:30Comments(0)独り言

ルクソール観光午後の部
















午後からはカルナック神殿と、ルクソール神殿へ行った。
























































ただいま現地時間午前0時32分、明日はアスワンへ移動するが、集合時間が午前6時である。早く寝なくては。
ちなみに今日は私の不惑の誕生日であった。N先輩の粋な計らいで、ホテルのレストランでにハッピーバースデイがピアノ演奏で流れ、ケーキが運ばれてきた。かなりのサプライズであった。N先輩ありがとうございます。
それではおやすみなさい。  


Posted by くうちゃん at 07:23Comments(1)独り言

ルクソール観光午前の部

ただいま、昼食を終えてホテルでしばしの休憩をとりに帰ってまいりました。本日の午前中にまわった場所は、メムノンの巨像、王家の谷、ハトシェプスト女王の葬祭殿などです、もちろん王家の谷ではツタンカーメン王の墓にも入りました。空気がきれいで、空も澄み切った青さでどこかの国とは大違いです。それでは詳細は帰国後と言うことで写真だけUPさせていただきます。































































さて、今からはルクソール神殿と、カルナック神殿に行ってまいります。  


Posted by くうちゃん at 21:32Comments(1)独り言

ルクソールの夜明け

夜が明けました。ただいま午前6時30分です。ナイル川を挟んだ対岸には気球がちらほらとあがってます。今見たら先ほど撮影したときよりたくさんあがっておりました。嘉瀬川越しの佐賀みたいですね。









  


Posted by くうちゃん at 13:45Comments(0)独り言

ルクソール到着

14時間かけて、ルクソールに到着しました。とりあえず空気はきれいみたいです。こちらはただいま深夜2時、ホテルにチェックインして食事をとり、現在に至っております。ホテルのまどからは、ナイル川が見えますが、真っ暗でよくわかりません。
とりあえず、ホテルでルクソールビールとエジプトワインに舌鼓をうちつつ、夜明けを楽しみにしております。前回のインドがあまりにもひどかったため、今回はとても良い予感です。


本日は、王家の谷、ツタンカーメンの墓、カルナック神殿にルクソール神殿と、メジャー所の観光地をまわる予定です。
夜明けが待ち遠しいです。  


Posted by くうちゃん at 08:50Comments(0)独り言

今から14時間

ただいまより、関空を出発します。14時間飛行機って(@_@)

到着後の景色をお楽しみに。
  


Posted by くうちゃん at 14:12Comments(1)独り言

またまた行ってきます。

そういう事です。
(^0_0^)
  


Posted by くうちゃん at 08:31Comments(1)独り言

肺炎でダウン中~11月例会・卒業生を送る会~

11日にインドから帰国し、翌日には病院に行ったのだが、そのときはまだ、鼻炎のような違和感と、息苦しさしか症状が出ておらず、鼻炎の緩和剤しか薬も処方してもらっていなかった。しかしなかなか改善されない症状に不安を覚え14日に再度病院を訪れたのだが、気管支炎から肺炎になりかけているという事で、薬も4種類に増えた。そして微熱が出始め、日、月と熱と呼吸不全に苦しみながら寝込んでしまった。もうインドの空気はこりごりである。今泉君と江口君はお腹の調子は回復したのだろうか。
まだ微熱くらいで元気であった、14日に、11月例会と卒業生を送る会が、アバンセで開催された。今年度の卒業生は17名、当日参加者は12名と、大掛かりな卒業生を送る会となった。
青年会議所は20~40歳までという年齢制限があり、嫌でも40歳になれば卒業しなければならない、まあ40にもなって青年もないなと思うし、ちょうど良い年齢制限ではないかと思う。かくいう私も、今年40歳になろうとしている、本当だったら今年卒業であったが、来年は直前理事長として一年間の、おまけと言うべきか、ご褒美と言うべきか、余計と言うべきか、まだ卒業せずに居残る期間が設けられている。卒業していくみんなは今年40歳、早生まれの方は学年では一つ上ではあるが、ほとんどの卒業生が私と同級生であり、同級生に卒業証書を渡し、見送る気分は違和感があった。
普段元気な卒業生のみんなも、この時ばかりは神妙な面持ちで、卒業証書を受け取り、現役メンバーへの遺言のようなエールを送っていた。入会がとても古い人、浅い人、数々の理事を歴任した人、理事にならなかった人、様々な青年会議所に対するスタンスで臨んだみなさんの話は、千差万別で面白いと、私は毎年卒業生のみなさんのスピーチを楽しみにしている。今年も千差万別のスピーチを聞く事が出来たが、一貫して感じられたのは、寂しそうであったという事だ。私も恐らく卒業したくないとは思わないと思うが、寂しいとは思うであろう。私が卒業生のみなさんに望む事は、卒業されてからも青年会議所で培った人脈や学んだ事を活用して、様々な分野で目だって欲しいと思います。それが、青年会議所の存在意義を高める一番効果的な事だと思うからです。
私はせっかくもらった後一年を十分に謳歌し、卒業後に備えたいと思います。  


Posted by くうちゃん at 23:46Comments(1)佐賀青年会議所

地球の歩き方~迷い方3その他まとめ編~

インドって・・・私が今回インドに行くまでに、インドに対して思っていたイメージは、
・空港を降りると子供達がお金を頂戴とまとわりついてくるので、対策としては、小銭を用意しておき、それをばらまいて、子供達が拾っている間に逃げなければならない。
・ガンジス川を見ると、今までの人生観が変わり、日本に帰ってきたくなくなるという事を何人かに聞いた事がある。
・ブリックスの一つであるインドは近い将来日本のGDP第2位の座を抜き去る存在である。
・ヒンズー教の信者が多く、仏陀も生んだ土地柄なので、信仰心や道徳心に卓越した人々が住んでいる。
・景色がものすごくきれいで雄大な大自然が、労なく見ることが出来る。
・カースト制度のため身分差別が今だにある。
などなどであった。

今回のインド渡航は、デリーとアーグラーの二都市しか回っていないので、これがインドのすべてではないという事は間違いない、それに、文中に出てくる~らしいという言い回しは、現地インド人ガイドの何人かから聞いた話である。

私が出会ったインドの人々
インドJCのメンバー
先日のインドの人々編で、肝心なインドJCの皆さんの事を書くのを忘れていました。インドのJCの人達ってどんな人が入会しているのでしょうか、その点については謎を残したまま帰国してしまい、残念であるが、過去の世界大会で遭遇した事があるインドJCのメンバーは、街の人達と同じで、まず話しかけられるとどこから来たのなんて軽い会話から始まり、最終的には何か頂戴と言われるのである。過去の大会では数々のインドJCメンバーに、はちまきやら扇子をプレゼントしたものである。
彼らはジャパンナイトが好きだと言っていた。それは何故かというと、ジャパンナイトでは、たくさん物を貰えるからだと言う。開始30分もたたずに、紙袋にいっぱいのおみやげ物を詰め込んだ彼らの姿をよく見かけたものだ。
インドの様な貧富の差が激しい国でJCに入るような人達だからと思い、少しは期待してインドへ来たのだが、少し期待はずれであった。ガイドさんから聞いた話や、街やホテルで働く人達の様子を見てみると、インドJCの人達はカーストでいうところの下層域にいる人達ではないかと思われる。なぜなら、カーストは大まかに4段階に分かれているのであるが、そこからさらに細分化され、実に2000もの階層に分かれるそうだ。そしてそれらの階層は、自身がつく事が出来る仕事まで細かく決められているらしい、近年インドではIT産業が爆発的に発展したが、実はそれらを支えているのは、カーストにおける、最下層の人々で、古くに決められたカーストの職業の区分に当てはまらないので、それらの職に就くことが出来たということである。だから携帯電話屋さんであったり、IT関係の仕事はカーストに縛られる事なく、ある意味下克上のように最下層からの成り上がりが可能であったのである。しかしながら、カースト上位者もいつまでもそれを指を加えてみているような事はしなかったらしく、現在では、どんなに有能な人であっても、カーストに縛られて、出世が妨げられたり、取引をしてもらえなくなったりといった問題が起きている言うことであった。結局新分野の産業で成りあがろうとしても、カーストの呪縛から解き放たれる事は出来ないみたいだ。まるで仏陀が仏教を広めてカーストを打破しようとしたが、夢破れたのと同じように。よってインドJCのほとんどのメンバーは、カーストでは低い身分ではあるが、新分野の産業で、そこそこ成功した人達が多いのではないかと思った。それならあの物乞いのような品のない振る舞いは想像できる。まああくまでも想像なのでご了承いただきたい。

インドの街並み
インドの街並みはとても見ていて気持ちのいいものではない、まず道路であるが、デリーはさすがに首都だけあって、車道は舗装されてはいるが、歩道がすべて完備されていない、しかも道はでこぼこである。佐賀に帰って車を走らせると、舗装の美しさと街路樹まで植えてある歩道や下水溝に感動する。東京から遥かに離れた田舎であるにもかかわらずだ。雨など降ると舗装されていない道から流れ込んでくる土砂で大変な事になるだろう、それがまた不衛生につながるのだろう、ごみなどもそのあたりが、あたかもゴミ箱であるように捨てられている。トイレも十分ではなく、あたりかまわず用を足している姿が見受けられる。アーグラーへ向かうバスで、途中トイレ休憩が何度かあったが、ほとんどなんの変哲もない道端であった。








デリーでも、ほとんどの人達の水の供給元は井戸であり、いたるところで井戸水をくみ上げる姿を見た。街には牛、ヤギ、猿、リス、馬、ポニー、ロバと、どんぐり村顔負けの動物王国だ。
















インドでの食事
空港に降り立ち、空気の悪さに度肝を抜かれ、水はと言うと、案の定現地のガイドさんももはや庶民と同じように水道の水さえ飲む事は出来ないということであったので、屋台や古ぼけたレストランでの食事は一切とらなかった。ちなみに、私は歯磨きの水もミネラルウォーターを使用した。
コンビニエンスストアは一度も見る事がなかったが、街にはジュースやお菓子を売る屋台がたくさんあった。缶ジュースはなつかしの、プルトップが外れるタイプで、ビンのジュースなども販売していた。しかしそれらは得たいのしれない水の中で冷やされており、氷もあぶないので手をださなかった。
朝は、ホテルのビュッフェ、昼と夜は、レストランで食事をしたので、一度も手を使って食べる事なく過ごした。そしてメニューは毎日カレーであった。本当にインドの人達は毎日カレーを食べるみたいだ。数種類のカレーにナンか、ライスを頼んだ。現地の人もそんな食べ方をするみたいであったが、屋台では一食100円もしないのだが、私達が行ったレストランは一人1000円~3000円くらいであったので、その臆病振りと、安全を理解していただけるだろう。
本場のタンドリーチキンはおいしかった。なんかから揚げ君みたいな味に、興奮しながら食べたが、日本に帰ると、から揚げ君をそこまで好んで食べるわけではない。マクドナルドは、5年ぶりというブルジョア江口君と、ジャンクフードが大好きな今泉君と、マクドナルドに入った。流石の円高で、セットがなんと230円くらいであった。流石に牛を使ったメニューはなく、チキンマックかフィレオフィッシュであった。
ここまで注意していたにもかかわらず、今泉君は、帰国日にお腹をくだし、江口君も帰国直後にお腹をくだし、病院に駆け込んだ。恐るべしインドの衛生状態である。
私はというと、お腹は壊さなかったが、現在も肺炎に悩まされている。もともと喘息もちの私が、マスク無しでは自殺行為だったみたいだ。帰国後数日たってから発熱し、未だに息苦しい。

毎晩ブログをつけるために、写真の一部をPCに写していたため、なんとか一部の写真は死守したが、会議の様子などを写した写真はなくなってしまった。なさけない。
次回インドへ行くときは、身包みはがされても笑っていられるような心境になってから行かなくてはならない。

総括
さて、今回のインドでイメージがどう変わったか。

・空港を降りると子供達がお金を頂戴とまとわりついてくるので、対策としては、小銭を用意しておき、それをばらまいて、子供達が拾っている間に逃げなければならない。

>これは、私は体験する事は出来なかった。デリーの空港は凄く小さく街からも離れているので、物乞いは集まっていなかった。しかし地方の空港に行けばこんな目にあうのではないかと想像される。小銭をばらまく必要はないが、これに乗じてスリにあうかもしれないので、囲まれたら要注意だと思う。

・ガンジス川を見ると、今までの人生観が変わり、日本に帰ってきたくなくなるという事を何人かに聞いた事がある。

>上流のガンジス川は、ヒマラヤ山脈からの澄んだ水が流れ込み、それはきれいな水らしい、そして多くのインド人は、老後はそこに住み、ガンジスのほとりで火葬をしてもらいたいそうだ。しかし下流の水は濁っていて、よくテレビで見かける沐浴シーンは下流の方だ、ここには流石に入りたくないが、日本でよく聞くガンジス川を見たらっていうエピソードはこの下流を指すことが多い。私には無理だと思うが、上流の綺麗なガンジスと、仏陀が悟りをひらいた街には行ってもいいかなと思った。

・ブリックスの一つであるインドは近い将来日本のGDP第2位の座を抜き去る存在である。

>結論から先に言うと、絶対にそんな事はない、起こりえない、ありえない。単純に人口が日本の10倍あるインドが、たとえGDPで日本を抜いたとしても、日本と同じ豊かさになるためには、その10倍のGDPである必要がある、まあそんな事は絶対無いと思うが、総額で抜く事さえも無理だと思う。ブリックスの中では中国とインドしか行ったことはないが、身分差別にとらわれたり、教育が行き届かない間はまず無理だと思います。まあこんな事を言い出したのは、ゴールドマンサックスなので、意図はみえみえである。

・ヒンズー教の信者が多く、仏陀も生んだ土地柄なので、信仰心や道徳心に卓越した人々が住んでいる。

>そういう人も住んではいるみたいだ。特にヒンズーの教えでは、輪廻転生という考え方があり、自らのカーストの地位をうけいれている。前世に良い事をしたから、現世で、カースト上位に生まれる事が出来、また現世で良いことをしなければ、来世で良いカーストに生まれる事が出来ないのだ。しかし、今回のように、騙し、盗みと悪い輩が数多くいるのは何故なのか。ガイドさん曰く、輪廻転生をみんな信じてはいるのだが、目先に走ってしまうのだという。しかしながら死の間際には、うわさのガンジス川のほとりに行き、瞑想し、悔い改め来世における自身の地位向上に努めるらしい。とても虫の良い話だ。

・景色がものすごくきれいで雄大な大自然が、労なく見ることが出来る。

>これは完全に勘違いであった。デリーはただの不快な地であり、バスで6時間走った200kも離れた街でも大気汚染がひどかった事を考えると、きれいな景色を見るためには、国内線に乗り換えて、飛行機で別の地に飛ばなければならないだろう。
インドは15の言語があり、南部に住む原住民、アーリア人の末裔、混血など多様な民族が入り乱れており、広い国土を一つの国と考えるのは、違うのかもしれない。

・カースト制度のため身分差別が今だにある。

>政府は撤廃を目指しているようだが、はっきりと未だに残っている。タクシー一つとっても、自転車を漕いでいるインド人にはタクシーの運転手達はとても偉そうである。レストランでも、トイレの仕事しか出来ない人や、掃除しか出来ない人、料理を作る人と、仕事もカーストによって細分化されており、大体私達がイメージできる序列で仕事が決まっている。

インドとはそういう国であった。ナマステー  


Posted by くうちゃん at 23:31Comments(1)佐賀青年会議所